「子供を実験に使う?」
ヴィンセントが噂に聞いたルクレツィアのグループの実験内容をはっきり聞いた時、いつもは寡黙なはずの彼が、思わず大きな声を出して言い返してしまった。
「誰が決めたんだ?」
椅子から立ち上がって、知らせてくれた人に詰め寄る。
「ク、クレシェント博士です・・・。」
ヴィンセントの勢いにのまれたように言いごもる彼にプレッシャーを与えないよう、少し身をひいた。
「子供って・・・今そんな候補はいないだろう。」
本当は話している相手に掴み掛かりたいくらいなのだが、自分を押さえながら言った。
「クレシェント博士は妊娠されていて・・・その子を使う予定だと。」
赤い瞳が大きく見開いて、話している彼が気付いた時は、ヴィンセントは部屋を出た後だった。
暗い廊下を歩いていると、ニブルヘイムの村の夜の様子が窓から見える。
ジェノバプロジェクトに係わって大分経つが、都会育ちのヴィンセントにはこの夜の静けさがいまだに慣れなかった。
何も聞こえない夜の闇の中で、自分の心の声が聞こえてきてそれに耳を傾けると、その夢想を遮断されない限りずっと堂々めぐりの夜を過ごしてしまう。
ヴィンセントはいつも彼女がいる実験室への扉を、何も言わないでノブを回した。
「ルクレツィア。」
電子顕微鏡で拡大した細胞の切片の写真を注意深く見ていた彼女が、ヴィンセントに目を向けた。
「ちょっと小耳に挟んだ話なんだが。」
彼女に向き合うように椅子に座って来たので、ルクレツィアは写真を机においた。
「子供をジェノバプロジェクトの実験に使うって。」
ヴィンセントの目は真剣だった。
ルクレツィアは自分の座っていた椅子をヴィンセントの方へ、ゆっくりと向けながら口を開いた。
「使うわ。」
「倫理的に問題がある。」
ヴィンセントはすぐに答えた。
「大丈夫。まだ人ではないもの。」
「なら、シャーレの上で実験すればいいじゃないか。」
なにも君の身体を使うリスクを侵すことはない、とヴィンセントが言葉を続ける。
「シャーレでは実験済なの。宝条が母体でどんな変化を起こすか見たいと。」
私も興味があったし、と付け加えたルクレツィアだった。
「でも、今までしたことがない実験なんだろう。しかも・・・・・・誰の子なんだ。」
声色は穏やかだが、問いつめる調子でヴィンセントが言葉を発した。
「宝条よ。」
ルクレツィアが冷たく答える。
「彼が、精子を提供すると言ってきたの。万が一子供を出産する場合も全面的に彼が責任を持つと言っているし・・・」
その後に続く彼女の言葉は全く分からなかった。ルクレツィアは人間の能力の限界を超える因子とか、宇宙の真理とか言っていたがヴィンセントの頭には全然入らない。
「ルクレツィア。こんな場所にいてはいけない。すぐに逃げ出すんだ。」
ヴィンセントの言葉にびっくりしたように、彼を凝視するルクレツィア。
「君の面倒は全部私が見る。一目会った時から自分でも分からないくらい君が好きだったんだ。」
彼女の腕を掴んで、目を見つめるヴィンセント。
「お腹の子供も私が責任を持って育てる。君はこんな人の倫理に外れたことをしてはいけない人だ。」
真剣にルクレツィアの瞳を見る彼の目から、彼女は少し目を逸らせた。
「私もあなたのことはとても好きよ。」
もう一度ヴィンセントの視線にあわせる。
「でも、あなたは私のことを理解していない気がする。宝条との方が理解し合えるような気がするの。」
黙っているヴィンセントにルクレツィアは言い続ける。
「あなたは私のこの科学的探究心を禁止するだけだわ。でも、宝条はどうすればいいか教えてくれる。私を守ってくれる。あなたはどうしたいの?」
ヴィンセントにはすぐに答えられる言葉が思いつかなかった。
真剣に自分の目を見つめてくる彼女の視線から目を反らしたかったが、そうしたら自分は全ての責任を投げ出すことになってしまう。
静かに、何の物音もしないニブルヘイムの夜に自分の心の声だけがんがん響いてきて、頭が痛いくらいだった。
「私は・・・君が本当にそれで幸せなら構わない。・・・・でも、いつでも・・・いや、いつか助けが必要な時があったらいつでも君の言葉を待っているから・・・。」
本当は泣きたいくらいみじめだったのだが、なんとか優しく彼女の腕から手を離して、泣き顔は見せないように部屋を出たつもりだった。
暫く廊下を歩いて、地下に行く階段の所で立ち止まる。
ーあなたは私の科学的探究心を禁止したいのね。
「違う。それは。」
思わず呟いて、はっと思った。
本当は彼女の希望も叶えつつ、宝条から引き離したいのだ。
ーそれさえできない私は・・・本当に振られたのかな。
階下から人が登ってくる足音が聞こえてくる。
自分の感情に溺れている暇もなく、ヴィンセントはこぼれそうな涙を飲み込んだ。

【5.24.2007】
014.友達以上恋人未満